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更新日:2021.12.01 / 掲載日:2021.12.01
伊大統領車フラミニアの60周年とランチア115年の歴史を祝う
ランチアは現地時間の11月26日、イタリア共和国大統領官邸であるクイリナーレ宮殿において、ランチアブランドの115周年と、イタリア大統領が所有するランチア・フラミニアの60周年を祝う様子を公開した。
ランチアの2つの祝典
ランチアのルカ・ナポリターノCEOは次のように述べた。「この日は、ブランドにとっても、この国にとっても特別な日です。このような二重のお祝いは、私たちの誇りとなります。クイリナーレ宮殿は、ブランドの115周年と、大統領専用車フラミニアの60周年を結びつける機会を与えてくれました。この2つは、ランチアとこの車にとって、非常に重要な祝典です」。
ランチア – 時代を超えたイタリア車の115年
ランチアは1906年11月27日、フィアットの従業員であり、自動車愛好家でもあったヴィンチェンツォ・ランチアとクラウディオ・フォゴリンによってトリノに設立された。ヴィンチェンツォは、フィアット車のハンドルを握ってさまざまな大会で優勝し、すでに自動車業界では名の知れた存在であった。
1908年に初めて生産されたランチア12HPは、当時としては明らかに型破りな車であった。低くて軽いシャシーに、チェーンではなくドライブシャフトを装着したこの車は、100台以上の販売を記録し、当時のサクセスストーリーとなった。ランチアの名声は高まり、第一次世界大戦の後、ラムダ、オーガスタ、アプリリアなど、新モデルが続々と登場。
第二次世界大戦後の1950年、ランチアは世界で初めてV6エンジンを搭載した「アウレリア」を発表。このモデルがさまざまな大会で優勝したことから、ヴィンチェンツォの息子であるジャンニ・ランチアは、公道での競争を目的としたレース部門を設立することになった。それが「スクーデリア・ランチア」だ。
1956年、ブランドは高級車に移行。60年代のアイコンはフラミニアとフラヴィアで、フラミニアはボンネットにエンジンを搭載し、前輪駆動を採用した初のイタリア車だった。1970年代初頭にはスポーツ部門が復活し、ストラトス、037、そしてデルタと、20年以上にわたってラリーの世界を席巻。世界ラリー選手権15回、コンストラクターズ&耐久世界選手権3回、1000ミリア1回、タルガ・フローリオ2回、カレラ・パンアメリカーナ1回など、ランチアはモータースポーツの頂点に到達する。
1985年のジュネーブモーターショーでは、スポーツ分野にとどまらず、コンパクトな「Y10」がデビュー。イプシロンは成功を収め、35以上の特別シリーズ、4世代にわたり、イタリアの同セグメントをリードするモデルとなった。イプシロンは、ランチア史上最も長く、多く売れたモデルであり、300万台以上が販売されている。
ランチア・フラミニア – 世界の要人をもてなすイタリア大使
ランチア・フラミニアは、2.5リッターV6エンジンを搭載し、豪華な内装と仕上げを施したハイクラスのフラッグシップとして1957年のジュネーブモーターショーで発表された。1961年、ピニン・ファリーナはロングホイールベースの大統領専用オープンカー「335」を製作。この車は、エリザベス2世がイタリアを訪問した際に、ジョヴァンニ・グロンキ大統領が初めて使用した車両で、数ヶ月のうちに4台のモデルが作られた。これらの車両には、かつてのローマ教皇の厩舎であったスクデリエ・デル・キリナーレから、サラブレッド種の馬の名前 – ベルフィオーレ、ベルモンテ、ベルヴェデーレ、ベルシト – が付けられた。
ベルフィオーレ、ベルモンテ、ベルヴェデーレの3台は、カブリオレボディに折りたたみ式のリジッドキャンバスソフトトップを備え、ベルシトは運転席の上に開閉不可能なキャンバスソフトトップを備えた。
アイコニックなミッドナイトブルーにペイントされたこのモデルは、すべてコノリー社製のブラックレザーのシート、ドライバーと連絡を取るためのインカム、大きなリアベンチに5人が乗れるスペース、さらに2つの折りたたみ式シートを装備。
ジョン・F・ケネディやシャルル・ド・ゴールをはじめとする各国首脳の訪問、イタリア統一100周年記念式典などに使用されたこの車両は、2001年に修復作業が行われた。ベルフィオーレとベルヴェデーレの2台は現役で、今もイタリア大統領や国の最高幹部が重要な場面で使用している。ベルシトはローマの軍用車両歴史博物館で見ることができ、ベルモンテは2001年からトリノの国立自動車博物館で展示されているという。