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車検・点検・メンテナンス
更新日:2017.12.21 / 掲載日:2017.12.21

【旧車趣味】TOYOTA2000GT その2

高性能を得るために、それまでのトヨタ車とはまったく異なるアプローチで開発された2000GT。特にヤマハとの密接な関係はあまりにも有名なエピソードだ。ここでは、当時2000GTが置かれていた関係を整理しつつ、その開発の経緯を振り返ってみたい。

基本設計はトヨタが主導ヤマハはそれを基に仕上げた

Y型のバックボーンフレームの中に、プロペラシャフトやエキゾーストパイプが収められている。何度も試行錯誤を繰り返して出来上がったパッケージングだ。

 ヤマハ発動機が四輪の生産を手掛けるために技術研究所を設立したのは1959年。当時のヤマハは1955年に二輪車第1号機YA-1の生産を開始し、本田技研工業と同様に四輪車生産へのステップアップを模索していた。1960年には自社で開発したDOHCエンジンを搭載するスポーツカー「YX30」の試作車両を完成させている。この技術研究所の設立当時に、技術開発の提携先として選んだのは日産自動車だった。1963年からは新型スポーツカーの共同開発を開始。DOHC4気筒エンジンを搭載したスポーツカーは翌年にプロトモデルを完成させるが、日産側の都合によってこのプロジェクトは終了してしまう。その後、新たなパートナーとしてトヨタ自動車と手を結び、トヨタ2000GTの開発がスタートする。このことからトヨタ2000GTはこのA550Xの焼き直しだという誤情報が飛び交うことになるのだが、先にも述べた通り、2000GTの基本設計はヤマハ発動機との提携以前に完成していたので、技術的なフィードバックはあったとしても、全くの別物である。
 高い技術と生産拠点を求めていたトヨタと、培った技術力を生かしたいヤマハとの意見が合致し、1964年の年末から共同開発がスタートしている。翌年からプロトモデルの製作が開始され、トヨタの技術者が浜松にあったヤマハの研究所へ出向する形で開発は進められた。ボディはデザインを最優先して作られたと思われがちだが、Y型フレームとの位置関係や着座位置など、パッケージングを重視して幾度となく変更が繰り返されている。初めて本格的なクルマを作ったヤマハのスタッフは苦労が絶えなかっただろう。プロトモデルはレース参戦も視野に開発されていたため、過酷なテストが繰り返されている。幾度もレースにチャレンジし、その技術をフィードバックしながら改良を行って、プロトモデル誕生から2年を経て発売された。

クラウン用に開発された直列6気筒OHCのM型ユニットをヤマハ発動機の技術によりDOHC化された3M型エンジン。高出力と耐久性を兼ね備えたエンジンは、0-400mを15.9秒で駆け抜ける。

正式な発売を前に、レースへの参戦や世界速度記録に挑戦している。これは単に名声を高めるだけでなく、ここでテストを行い、その経験は市販車にフィードバックされている。

ヤマハ発動機が独自に開発を行った小型スポーツカーYX30。FRP製の軽量ボディに直列4気筒DOHCのアルミ製ユニットを搭載するライトウェイトスポーツだ。

日産と共同で開発されていたA550X。3台のプロトモデルを完成させていたが、途中で計画は中止された。「日産2000GT」と呼ばれることもある。




提供元:オートメカニック


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グーネットピット編集部

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グーネットピット編集部

車検・点検、オイル交換、修理・塗装・板金、パーツ持ち込み取り付けなどのメンテナンス記事を制作している、
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