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更新日:2022.01.05 / 掲載日:2022.01.05
90年代の中古車の価格が高騰中!?なぜ今90年代?その理由と車種を説明
最近、1990年代に生産された車の中古車が大人気で、市場価格も高騰しています。
その理由は、もともとの生産や現存台数が少ないからという単純なものから、車生産におけるルールが変わったことにより相対的に希少価値が上がったというものまでさまざまです。
ここでは、90年代に生産された車が値上がりしている実態とその背景、海外市場における日本製中古車の人気ぶりや、90年代の車そのものが持つ魅力などを説明します。
そして、「あの頃の思い出深い車たちは今いくらくらいの値段なんだろう?」と興味が湧く方も多いでしょう。検索してみると、1990年代に生産された車の中古車市場での高騰ぶりに驚くかもしれません。
70年代のクラシックカーのような古さでもないはずなのになぜここまで値上がりしているのか、その理由について見ていきます。

90年代に車遊びを楽しんでいた40歳前後の方は、当時は安くて数万円、高くても30万円くらいの自動車に乗っていたでしょう。しかし、それらの車種が今では100万円かそれ以上の高価な価格で販売されています。
1980年~1990年代に誕生・生産された国産車は、1960年~1970年代の国産クラシックカーに対して「ネオクラシック」と呼ばれています。このネオクラシックの相場が、最近はかつてないほど熱くなっています。
例えば、かつて100万円以内か、タダ同然で購入できた「R32のGT-R」は、500万~1,000万円で、「S13系シルビア」などは200~300万円が当たり前です。
なぜここまで90年代の車が高騰しているのでしょう?
例えば、日産シルビア、日産180SX、マツダRX-7、ホンダCR-X、トヨタMR2などです。これらは、いずれも当時人気だったスポーツモデルですが、現在はすべて絶版となっています。
また、90年代の車は消耗され尽くした車が多いため、希少価値が非常に高くなっています。

規制や基準の変更により、今や90年代の車の様式は、その多くが時代にそぐわない車種となっています。特に2000年(平成12年)の排ガス規制以降は生産中止となった車種も多く、これも希少価値を高めている原因の一つです。
また、当時は今ほど衝突安全性能が重要視されておらず、新たなルールが追加・変更されるたびにメーカーはルールに合わせてボディの強度対策を繰り返しました。その流れの中で90年代スポーツカーも変化・消滅していきました。
しかし、2000年(平成12年)の排ガス規制強化によって大きな影響を受け、当時のモデルの希少価値を高める原因となりました。
排出ガス規制は日本のみならず世界各国に存在し、今も毎年新たな規制が追加されています。
しかし、今のところ2000年(平成12年)の排ガス規制強化ほどスポーツカー生産に影響したものはありません。この時は1978年(昭和53年)の規制内容が大幅に強化されて、特にCO、HC、NOxについてはそれぞれの規制値からさらに約70%の削減が義務付けられました。猶予期間も設けられましたが、これで多くのスポーツカーが生産中止となりました。
この時、生産中止となったものには、自動車史に残る名作と名高い車種もあります。しかし、当時はスポーツカーの人気もすでに下火で、メーカーは費用をかけて規制に対応するよりも生産中止の道を選んだのです。
約20年前の車も、保安基準に達しているかをチェックする「前面衝突試験」は行われています。しかし、この試験は現実的にあまり起きない状況下での事故を基準にしているということで、批判されるようになりました。
「もっと実際に起きている事故に近い条件下で測定すべきだ」という声がユーザーや調査機関から上ってくるのも当然です。これに合わせて、各メーカーはボディの強度対策としてさまざまな工夫を凝らすようになりました。
こうしてボディの構造の見直しが進み、新しい安全基準に適合する車が開発されていきました。それまでの安全性が低い車は消えていき、かえって希少価値が高まる結果になったのです。
以下ではすでに絶滅モデルになったとされている車を紹介しましょう。
減産傾向はバブル経済崩壊に伴ってすでに90年代から始まっており、1990年には510万台が生産されていたのが1995年には444万台にまで落ち込んでいます。
その後も、実用性の低いスポーツカーはぜいたく品として敬遠され続け、さらにRV車やミニバンが流行の中心に取って代わり、多くのスポーツカーがどんどん廃車となりました。
価格相場は、需要と供給のバランスで決まります。今は世界各地で日本車の需要が高まっているため、スポーツカーの供給台数が極めて少ない状況である以上、値上がりは避けられなかったと言えるでしょう。

現在でも、30~40代のスポーツカーファンの間でシルビアは高い人気を誇っており、中古車市場でも高額で売買されています。その歴史は長く、登場は1965年で2002年まで名称を変えずに販売されました。
初代シルビアである「CSP311型」が登場したのが1964年のことで、当時は日産初となる「フロントディスクブレーキ」や4速フルシンクロミッションが採用されていました。
宝石のカットとも呼ばれた美しいデザインや、隙間のないボディの仕上がりも評判は上々で、当時としては安全性が高かったことも魅力でした。
生産終了となったのは2002年の排ガス規制が原因です。「R34GT-R」とともにその歴史に幕を閉じています。
しかし、販売されたシリーズの一部は今でもファンに愛され続けており、類を見ないほどの根強い人気です。
■日産シルビアの中古車を探す

日産180SXは、5代目シルビア(S13型)の双生児車として1989年にデビューしたものです。
SXは日産の輸出用スポーツカーなどに使われたブランドマークで、「180」は搭載されている1,800CCのエンジン排気量を、「S」はスポーツあるいはスポーティ、「X」は未知の世界を表します。
リトラクタブルヘッドランプとファーストバックのスタイルを採用することで、シルビアとの差別化をはかっています。
1993年に6代目シルビアが登場したものの、この180SXはそのままのボディで販売され続けました。
1994年にはグレードを3タイプから2グレードに切り替えました。そして、1996年に再び3グレードに戻すなどの変化を経ています。
1996年にいくつかの変更があったのを最後に、後はほとんど変わることなく1999年1月に生産が終了しました。
■日産180SXの中古車を探す

マツダが開発・製造したRX-7は今も根強い人気を誇るスポーツカーです。
1978年にサバンナの後継機として発売された初代RX-7にあたるSA22C型は、「初代サバンナRX-7」という名前でした。
1985年のフルモデルチェンジを経て、2代目のRX-7としてFC3S型が生産されます。さらに1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを経て、3代目RX-7にあたるFD3S型の販売が始まりました。
高い走行性能によるパワフルな走りとデザインが特徴的で、ル・マン24時間レースで総合優勝を果たすなどの快挙により、その名声が高まりました。
その後もRX-7はマイナーチェンジが何度か行われながら高い人気を誇り続けましたが、環境対策への対応の難しさといった理由もあり、2003年に25年の歴史に幕を閉じています。
■マツダRX-7の中古車を探す

ホンダのバラードスポーツCR-Xは、シビックの姉妹車にあたる「バラード」から派生したモデルです。
大きい室内空間でありながらメカニズム部分は小規模かつ高性能に、というコンセプトで1983年にデビューしました。当時のキャッチコピーは「デュエットクルーザー」でした。
車体にはホンダ独自のアイデアや技術がいくつも搭載されており、製造時に取られた特許や実用新案の登録出願数は300以上に及びます。軽くて頑丈な新素材を使ったモノコックボディや、高効率ロックアップ機構がついた「ホンダマチック3速フルオート」の機能が有名です。
このような特徴を備え持つCR-Xは、スポーツ志向のユーザーに大変よく好まれたモデルでした。
当時の日本国内での月間販売予定台数は1,500台で、1999年に販売終了しました。
■ホンダCR-Xの中古車を探す

車好きの間でも名高くて有名なトヨタMR2は、1984年に登場したスポーツカーです。
正式名称「Midship Runabout 2seatr」の名の通り、前輪と後輪の車軸の間にエンジンが搭載されている「ミッドシップ」というパッケージが特徴的でした。
年間を通じて最も優秀とされた車が選ばれる「日本カーオブザイヤー」にも選定された名車です。
発売当初は販売に苦戦しましたが、間もなく日本経済は未曽有の好景気に突入します。その後はバブル経済の追い風を受け、2シーターのスポーツカーにもかかわらず売り上げを伸ばしていくという快挙を成し遂げました。
1989年に登場した2代目MR2は、ボディデザインやエンジンなどに全面的な改良が加えられ、その販売台数は初代を上回りました。
サーキットなどの競技車両としてもその力を発揮しています。
■トヨタMR2の中古車を探す

90年代の日本車「ネオクラシック」が高騰している理由として、アメリカの「25年ルール」の影響も大きいでしょう。
アメリカでは原則的に右ハンドル車の輸入は禁止ですが、車齢25年以上の輸入車はこの制限から除外されます。
アメリカでの日本車に対する信頼度は高く、生産から25年が経ったネオクラシックが輸入可能となったことで、一気に需要が高まった形です。
この「25年ルール」の影響について詳しく説明します。
このルールが、90年代前半に生産された日本車「ネオクラシック」に適用される年代になりました。このため米国内の需要が高まり、国産スポーツカーが日本国内から流出していったことで、国内の中古車市場の供給が追い付かなくなりました。
その上人気なのはスポーツカーに限らず、「人とは違うタイプの車に乗りたい」というユーザーも多いため軽自動車やミニバン、日産のバイクカーシリーズ(パオやフィガロ)も売れています。
25年ルールは、時間が経てば経つほど適用対象となる車種も拡大していきます。そのためこのままいけば、90年代後半のネオクラシックはもちろんのこと、2000年代に生産された日本製中古車も価格が上がっていくでしょう。
日本の車は、「故障が少ない」「耐久性が高い」「品質管理も徹底しており加工や組み立て技術が緻密である」など、海外でも多くの点で高い評価を得ています。
現在の自動車産業は、海外販売によって成り立っていると言っても過言ではありません。一番の「お得意様」がアメリカです。
多くのアメリカ人は新車をリース契約で入手しますが、リース期間が終わると今度はディーラーがその車を中古車として販売します。そのため、故障が少なく再販売に耐えうる日本車はニーズが高いのです。
また、燃費の良さも人気の理由で、広大なアメリカでは一台の年間走行距離が日本の2~3倍と言われています。燃費がよく耐久性が高い車が重宝され、同じ理由からアフリカや中東、東南アジアでも日本車の人気は高いです。
車の燃費や耐久性の良さは日本人には当たり前のことと思われがちですが、実は世界に誇れる特長なのだと言ってもいいでしょう。この、もともとの日本車人気に「25年ルール」が拍車をかけました。

90年代の中古車の魅力は、遊び心のあるデザインや走行性、そしてひと昔前の車種ではあるものの「旧車」と呼ぶほどでもない新しさにあると言えるでしょう。
これらの特徴について詳しく説明していきます。
90年代の車には独特の魅力があります。実用性よりも遊び心を重視したユニークさは、若い頃は手が出なかったが今なら買えるという方やコレクターなど、今も多くの車好きの心をとらえています。
価格が高騰気味の現在では、このバランスが保たれたまま購入できるのは今が最後のチャンスかもしれません。
特にアナログな操作性は、電子制御が当たり前の今の自動車にはない魅力でしょう。
また、デザインも今見てみると斬新なものが多くなっています。これはバブル経済の好調な業績を後ろ盾に、各メーカーがどんどん差異化をはかったためです。
さらに、純粋に走行性を追求した野性味あふれる走りの良さは何物にも代えがたいものがあります。装備や性能も現代の車と遜色ないレベルです。
丁寧にメンテナンスを施せば日常的な使用にも十分耐えられ、趣味と実益を兼ねた使い心地の良さを味わうことができるでしょう。
その理由は、もともとの生産や現存台数が少ないからという単純なものから、車生産におけるルールが変わったことにより相対的に希少価値が上がったというものまでさまざまです。
ここでは、90年代に生産された車が値上がりしている実態とその背景、海外市場における日本製中古車の人気ぶりや、90年代の車そのものが持つ魅力などを説明します。
この記事の目次
90年代の中古車が急騰している!
40歳前後で20代くらいの頃に車を乗り回していた方は、そろそろ収入や生活に多少の余裕が出てくる頃です。そして、「あの頃の思い出深い車たちは今いくらくらいの値段なんだろう?」と興味が湧く方も多いでしょう。検索してみると、1990年代に生産された車の中古車市場での高騰ぶりに驚くかもしれません。
70年代のクラシックカーのような古さでもないはずなのになぜここまで値上がりしているのか、その理由について見ていきます。
「90年代」がなぜ高騰するのか?

1980年~1990年代に誕生・生産された国産車は、1960年~1970年代の国産クラシックカーに対して「ネオクラシック」と呼ばれています。このネオクラシックの相場が、最近はかつてないほど熱くなっています。
例えば、かつて100万円以内か、タダ同然で購入できた「R32のGT-R」は、500万~1,000万円で、「S13系シルビア」などは200~300万円が当たり前です。
なぜここまで90年代の車が高騰しているのでしょう?
90年代の車は希少価値が高い
90年代頃に生産された「ネオクラシック」の相場が高騰している原因の一つに、当時あった車種の多くが現存していないということが挙げられます。例えば、日産シルビア、日産180SX、マツダRX-7、ホンダCR-X、トヨタMR2などです。これらは、いずれも当時人気だったスポーツモデルですが、現在はすべて絶版となっています。
また、90年代の車は消耗され尽くした車が多いため、希少価値が非常に高くなっています。
90年代の様式は規制・基準に抵触することも

また、当時は今ほど衝突安全性能が重要視されておらず、新たなルールが追加・変更されるたびにメーカーはルールに合わせてボディの強度対策を繰り返しました。その流れの中で90年代スポーツカーも変化・消滅していきました。
強化される排ガス規制
90年代のスポーツモデル開発には、各メーカーが生産競争に力を注いできました。しかし、2000年(平成12年)の排ガス規制強化によって大きな影響を受け、当時のモデルの希少価値を高める原因となりました。
排出ガス規制は日本のみならず世界各国に存在し、今も毎年新たな規制が追加されています。
しかし、今のところ2000年(平成12年)の排ガス規制強化ほどスポーツカー生産に影響したものはありません。この時は1978年(昭和53年)の規制内容が大幅に強化されて、特にCO、HC、NOxについてはそれぞれの規制値からさらに約70%の削減が義務付けられました。猶予期間も設けられましたが、これで多くのスポーツカーが生産中止となりました。
この時、生産中止となったものには、自動車史に残る名作と名高い車種もあります。しかし、当時はスポーツカーの人気もすでに下火で、メーカーは費用をかけて規制に対応するよりも生産中止の道を選んだのです。
厳格化される衝突安全基準
90年代の車はコンパクトさとデザインの美しさが際立っていた一方で、衝突時の安全性が重視されていないという側面もありました。それに反して時代は、美しさよりも衝突安全性能を重要視する方向へ向かっていきました。約20年前の車も、保安基準に達しているかをチェックする「前面衝突試験」は行われています。しかし、この試験は現実的にあまり起きない状況下での事故を基準にしているということで、批判されるようになりました。
「もっと実際に起きている事故に近い条件下で測定すべきだ」という声がユーザーや調査機関から上ってくるのも当然です。これに合わせて、各メーカーはボディの強度対策としてさまざまな工夫を凝らすようになりました。
こうしてボディの構造の見直しが進み、新しい安全基準に適合する車が開発されていきました。それまでの安全性が低い車は消えていき、かえって希少価値が高まる結果になったのです。
90年代の車は現存台数が少ない
前述した規制強化が進んだことや、単純に生産・現存台数が少ないこともあって、90年代に開発生産された車種の多くはほとんど残っていません。以下ではすでに絶滅モデルになったとされている車を紹介しましょう。
スポーツカーは生産台数も少ない
国産のスポーツカーはもともと生産台数や現存台数が少なく、中にはとても希少なものもあります。減産傾向はバブル経済崩壊に伴ってすでに90年代から始まっており、1990年には510万台が生産されていたのが1995年には444万台にまで落ち込んでいます。
その後も、実用性の低いスポーツカーはぜいたく品として敬遠され続け、さらにRV車やミニバンが流行の中心に取って代わり、多くのスポーツカーがどんどん廃車となりました。
価格相場は、需要と供給のバランスで決まります。今は世界各地で日本車の需要が高まっているため、スポーツカーの供給台数が極めて少ない状況である以上、値上がりは避けられなかったと言えるでしょう。
日産シルビア

初代シルビアである「CSP311型」が登場したのが1964年のことで、当時は日産初となる「フロントディスクブレーキ」や4速フルシンクロミッションが採用されていました。
宝石のカットとも呼ばれた美しいデザインや、隙間のないボディの仕上がりも評判は上々で、当時としては安全性が高かったことも魅力でした。
生産終了となったのは2002年の排ガス規制が原因です。「R34GT-R」とともにその歴史に幕を閉じています。
しかし、販売されたシリーズの一部は今でもファンに愛され続けており、類を見ないほどの根強い人気です。
■日産シルビアの中古車を探す
日産180SX

SXは日産の輸出用スポーツカーなどに使われたブランドマークで、「180」は搭載されている1,800CCのエンジン排気量を、「S」はスポーツあるいはスポーティ、「X」は未知の世界を表します。
リトラクタブルヘッドランプとファーストバックのスタイルを採用することで、シルビアとの差別化をはかっています。
1993年に6代目シルビアが登場したものの、この180SXはそのままのボディで販売され続けました。
1994年にはグレードを3タイプから2グレードに切り替えました。そして、1996年に再び3グレードに戻すなどの変化を経ています。
1996年にいくつかの変更があったのを最後に、後はほとんど変わることなく1999年1月に生産が終了しました。
■日産180SXの中古車を探す
マツダRX-7

1978年にサバンナの後継機として発売された初代RX-7にあたるSA22C型は、「初代サバンナRX-7」という名前でした。
1985年のフルモデルチェンジを経て、2代目のRX-7としてFC3S型が生産されます。さらに1991年に行われた2度目のフルモデルチェンジを経て、3代目RX-7にあたるFD3S型の販売が始まりました。
高い走行性能によるパワフルな走りとデザインが特徴的で、ル・マン24時間レースで総合優勝を果たすなどの快挙により、その名声が高まりました。
その後もRX-7はマイナーチェンジが何度か行われながら高い人気を誇り続けましたが、環境対策への対応の難しさといった理由もあり、2003年に25年の歴史に幕を閉じています。
■マツダRX-7の中古車を探す
ホンダCR-X

大きい室内空間でありながらメカニズム部分は小規模かつ高性能に、というコンセプトで1983年にデビューしました。当時のキャッチコピーは「デュエットクルーザー」でした。
車体にはホンダ独自のアイデアや技術がいくつも搭載されており、製造時に取られた特許や実用新案の登録出願数は300以上に及びます。軽くて頑丈な新素材を使ったモノコックボディや、高効率ロックアップ機構がついた「ホンダマチック3速フルオート」の機能が有名です。
このような特徴を備え持つCR-Xは、スポーツ志向のユーザーに大変よく好まれたモデルでした。
当時の日本国内での月間販売予定台数は1,500台で、1999年に販売終了しました。
■ホンダCR-Xの中古車を探す
トヨタMR2

正式名称「Midship Runabout 2seatr」の名の通り、前輪と後輪の車軸の間にエンジンが搭載されている「ミッドシップ」というパッケージが特徴的でした。
年間を通じて最も優秀とされた車が選ばれる「日本カーオブザイヤー」にも選定された名車です。
発売当初は販売に苦戦しましたが、間もなく日本経済は未曽有の好景気に突入します。その後はバブル経済の追い風を受け、2シーターのスポーツカーにもかかわらず売り上げを伸ばしていくという快挙を成し遂げました。
1989年に登場した2代目MR2は、ボディデザインやエンジンなどに全面的な改良が加えられ、その販売台数は初代を上回りました。
サーキットなどの競技車両としてもその力を発揮しています。
■トヨタMR2の中古車を探す
90年代の車に「25年ルール」がもたらす影響

アメリカでは原則的に右ハンドル車の輸入は禁止ですが、車齢25年以上の輸入車はこの制限から除外されます。
アメリカでの日本車に対する信頼度は高く、生産から25年が経ったネオクラシックが輸入可能となったことで、一気に需要が高まった形です。
この「25年ルール」の影響について詳しく説明します。
25年ルールとは?
アメリカでは、たとえ個人の輸入であっても国内で販売されていない車は一般道では走れません。しかし、誕生後25年が経った車ならその限りではなくなるというのが、いわゆる「25年ルール」です。このルールが、90年代前半に生産された日本車「ネオクラシック」に適用される年代になりました。このため米国内の需要が高まり、国産スポーツカーが日本国内から流出していったことで、国内の中古車市場の供給が追い付かなくなりました。
その上人気なのはスポーツカーに限らず、「人とは違うタイプの車に乗りたい」というユーザーも多いため軽自動車やミニバン、日産のバイクカーシリーズ(パオやフィガロ)も売れています。
25年ルールは、時間が経てば経つほど適用対象となる車種も拡大していきます。そのためこのままいけば、90年代後半のネオクラシックはもちろんのこと、2000年代に生産された日本製中古車も価格が上がっていくでしょう。
25年ルールが日本車人気に拍車をかける
もともと日本の自動車産業における販売台数は、国内よりも海外の方がはるかに多いです。コロナ禍の影響がほとんどない2019年時点で、全世界で販売された9,136万台のうち2,756万台、つまり約30パーセントは日本車が占めています。日本の車は、「故障が少ない」「耐久性が高い」「品質管理も徹底しており加工や組み立て技術が緻密である」など、海外でも多くの点で高い評価を得ています。
現在の自動車産業は、海外販売によって成り立っていると言っても過言ではありません。一番の「お得意様」がアメリカです。
多くのアメリカ人は新車をリース契約で入手しますが、リース期間が終わると今度はディーラーがその車を中古車として販売します。そのため、故障が少なく再販売に耐えうる日本車はニーズが高いのです。
また、燃費の良さも人気の理由で、広大なアメリカでは一台の年間走行距離が日本の2~3倍と言われています。燃費がよく耐久性が高い車が重宝され、同じ理由からアフリカや中東、東南アジアでも日本車の人気は高いです。
車の燃費や耐久性の良さは日本人には当たり前のことと思われがちですが、実は世界に誇れる特長なのだと言ってもいいでしょう。この、もともとの日本車人気に「25年ルール」が拍車をかけました。
90年代の中古車の魅力

これらの特徴について詳しく説明していきます。
90年代の車は「遊べる」
現代の車は、環境問題への対応や安全性が重視されており、純粋に「遊び」を追求した開発・生産はやりにくいところがあります。しかし、90年代スポーツカーは制限がなかった頃の遊び心と操作性を楽しむことができるでしょう。90年代の車には独特の魅力があります。実用性よりも遊び心を重視したユニークさは、若い頃は手が出なかったが今なら買えるという方やコレクターなど、今も多くの車好きの心をとらえています。
90年代の車は「お手頃」
90年代の中古車は、ひと昔前の車種ではありますが、「旧車」と呼ぶにはまだかろうじて新しいと言えるぎりぎりのバランスだと言えます。価格が高騰気味の現在では、このバランスが保たれたまま購入できるのは今が最後のチャンスかもしれません。
90年代の車でも装備・性能は十分通用する
2000年代から排ガス規制や安全基準が厳格になったことで、反対に90年代の車だからこそ味わえるデザインや機能もあります。特にアナログな操作性は、電子制御が当たり前の今の自動車にはない魅力でしょう。
また、デザインも今見てみると斬新なものが多くなっています。これはバブル経済の好調な業績を後ろ盾に、各メーカーがどんどん差異化をはかったためです。
さらに、純粋に走行性を追求した野性味あふれる走りの良さは何物にも代えがたいものがあります。装備や性能も現代の車と遜色ないレベルです。
丁寧にメンテナンスを施せば日常的な使用にも十分耐えられ、趣味と実益を兼ねた使い心地の良さを味わうことができるでしょう。
まとめ
①90年代の中古車は希少価値が高く、市場でも価格が高騰している
②90年代の様式は現代の排ガス規制・衝突安全基準に合わず生産中止になったものも多い
③ただし90年代の車でも装備・性能は十分通用する
④スポーツカーなど、90年代の車は現存台数が少ない
⑤アメリカでは「25年ルール」によって90年代の日本製の中古車人気に拍車がかかっている
⑥90年代の中古車には「遊べる」「お手頃」などの魅力がある
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