カーライフ
更新日:2022.06.30 / 掲載日:2021.12.10
【Hondaハート】ホンダの福祉車両を体験する【石井昌道の自動車テクノロジー最前線】
文●石井昌道 写真●ユニット・コンパス
2021年11月からホンダは“Hondaハート”という企業広告を開始している。TVCMは、クルマやバイクだけではなく、耕運機や発電機、除雪機、ホンダ・ジェットに船外機などといったホンダの製品が一堂に会し、King&Princeが登場することでも話題になっている。
目的はホンダのハートを伝えること。「人や社会の役に立ちたい」「人々の生活の可能性を拡げたい」というのが創業以来の想いであり、Hondaハートでは「きょう、だれかを、うれしくできた?」がキャッチコピーになっている。
そういった想いがあるからこそ、ホンダは福祉車両への取り組みも熱心だ。
手のみで運転するテックマチックシステムは1976年、足のみで運転するフランツシステムは1982年から発売。これらは運転補助装置付き車両(自操式)と呼ばれる。ちなみに、1999年の企業広告は「Do you have a Honda?」がキャッチコピーで、Free Mind編のTVCMでは、元F1ドライバーでレース中の事故で下半身に障がいを負った故クレイ・レガツォーニ選手が、テックマチックシステムを組み込んだ初代NSXでサーキットを疾走。楽曲の日曜日よりの使者(THE HIGH-LOWS)もマッチしていたので、印象に残っている人も少なくないだろう。
1995年にはホンダとして介護車両をラインアップに追加している。車いす仕様車、サイドリフトアップシート、助手席リフトアップシート、助手席回転シートなどを軽自動車やミニバンなどで用意しているが、なかでもN-BOXスロープ仕様(車いす仕様車)の人気は高く、2012年の発売以来、年間の車いす移動車販売台数No.1を6回獲得しているという。
車いすレーサー(陸上競技用車いす)への取り組みは1999年にホンダアスリートクラブ発足から始まった。特例子会社であるホンダ太陽に所属する障がい者スポーツのトップアスリートが所属するホンダアスリートクラブは、本田技術研究所、八千代工業と手を組んで開発を進め、2014年には“極(KIWAMI)”レーサー、2019年には”翔(KAKERU)”レーサーを一般販売開始。パラリンピックを始め、車いすマラソンやトラック競技で活躍している。
「あしらせ」は、視覚障がい者の歩行をサポートするシューズイン型のナビゲーションシステム。これはホンダの新事業創出プログラム「IGNITION」発のベンチャー企業「株式会社Ashirase」が2022年度中の発売を目指して開発している。
自動車メーカーらしい発想とこだわりを感じるホンダの福祉機器
今回はホンダの福祉車両を体験する機会に恵まれた。
テックマチックシステムは、両足が不自由な人向けの手動運転補助装置Dタイプが装備されたフィットに試乗。旋回ノブが付けられハンドルは右手だけで操作、手前に引くとアクセル、奥へ押すとブレーキになるコントロールグリップは左手で操作する。通常、エンジン始動にはブレーキペダルを踏み、始動ボタンを押す必要があるため、コントロールグリップはブレーキを踏み込んだ状態にするロック機構を備えている。奥まで押し込んでボタンを押すもので、解除は押し込みながらボタン操作、メカニカル式のパーキングブレーキと同様だ。これでブレーキをロックしてエンジン始動し、電子制御パーキングブレーキを解除、シフトセレクターをDレンジに入れて、ブレーキロックを解除すれば、するするとクリープで走り始める。
アクセルやブレーキは、慣れないと唐突な操作になりがちだが、意外と早い段階でスムーズに操作できるようになっていった。足でペダルを操作するよりも、手のほうが繊細な動きができるので、むしろ上手に運転できるようになりそうだ。右手だけのハンドル操作にはさほど違和感はなく、慣れるまでに時間はかからなかった。ウインカーやライトのロービーム/ハイビームの切り替えスイッチはコントロールグリップに配置されているので、運転しながらの操作が可能になっている。
テックマチックシステムが意外と早く慣れることが出来たのに比べるとフランツシステムはちょっとハードルが高かった。こちらもフィットでの試乗となったが、手を使わないとまずドアを開けるのが大変。足のつま先をドアノブに引っかけて手前に引き、ドアが閉まらないよう身体を滑り込ませる必要がある。こういった操作も、慣れて足が器用になってくれば上手になるのだろうが、初めてだとかなりぎこちなく、片足立ちでバランスをとるのも心許なかった。
ドア内側にはシートベルトが2箇所で止められていて、シートに座れば自動的に装着できるようになっている(オプションのパッシブシートベルト)。
ハンドルは足用ステアリングペダルユニットで操作。左足で自転車のペダルのように縦回転させるものだ。アクセルとブレーキは一般的なATと同様に、右足で操作する。シフトセレクターは足用シフトペダル、ウインカーやホーン、ハザードなどは足用コンビネーションスイッチで、それぞれ右足で操作する。
エンジン始動やシフトセレクター操作時にはブレーキペダルを踏み続ける必要があるので、テックマチックシステムと同様にロック機構がある。ブレーキペダル上部のスイッチで操作するものだ。ブレーキロックして、足でエンジン始動ボタンを器用に押し、足用シフトペダルでDレンジを選択。ブレーキロックを解除すればクリープで走り始める。
右足によるアクセル、ブレーキの操作は通常と同様なのでまったく違和感はないが、左足によるハンドル操作は慣れないとちょっと難しい。自転車を走らせるときは両足でペダル操作しているのでバランスがいいのだが、左足だけで操作すると、下に押し込むのは簡単なものの、上に引き上げるときに、普段は使わない太もも前部の筋肉などが必要で力が要るし、操作も大雑把になりがちだ。今回は貸し切りの自動車教習所内での試乗だから、周囲の交通を気にせず落ち着いて慣れていけたが、それでもカーブをスムーズにこなすまでに時間がかかった。
また、ウインカーを右足で操作するのも慣れが必要になる。ペダル操作もしながら、ボタンを押さなくてはならず、慣れないとブラインドタッチできないので目視することになる。
テックマチックシステムに比べると慣れるのに時間はかかるが、足は訓練していけばどんどんと器用な操作が可能になるはず。右太もも前部の筋肉は少し鍛えなければならないだろうが、繊細な操作は1~2日も練習すればモノに出来そうだ。
N-BOXの車いす仕様車では、車いすに腰掛けてスロープによって車内に収まり、実際にクルマを走らせても体験した。今回使用した車いすは自走式ではなく、介助用の手押し型であり、その分、車輪を小さくできるので車載には向いている。
車いすを車載して固定すると、座面は後ろ下がりとなる。これが身体の安定には重要なところ。フラットなままだとブレーキ時に身体が前に投げ出されるようになって不安だからだ。また、車いすにヘッドレストが装備されているのも車載での走行時には大きな安心材料になる。
N-BOXは、おそらく一般的な実用車のなかで世界一の低床であるため、スロープ使用時の角度がきつくなく、車いすの乗降がスムーズ。あきれるほどの高さがある室内高は、車いすを車載しても余裕があって快適だ。日本のスーパーハイト軽自動車はコンパクトながら車いす仕様に持ってこいなのだ。
車いすレーサーは、最新型の”翔(KAKERU)”ではなく、“挑(IDOMI)”で体験させてもらった。腰掛けたら胸が足にくっつくまで前屈みになり、首を上に向けて前方を見ながら両手で車輪を漕いで走らせていく。小さなハンドルで進路を決めていくが、車輪を漕ぐのと同時には操作できないので、進路が逸れそうになったら適宜操作する。そのため、ハンドルにはダンパーが装着されていて、強めにセルフセンタリングがかかる仕組みだ。
速く走らせるにはもちろん腕の力が必要で、競技でいい成績を収めるにはハードなトレーニングが不可欠だろう。短時間の体験で、なんとなくコツかな? と思ったのは、漕ぐときには短いストロークの中で一気に素早くトルクをかけること。それを意識すると自分なりにスピードアップが出来るようになった。
気を付けなければいけないのは、不用意に上体を起こすと後ろにひっくり返ってしまうことだ。競技用なので利便性などは度外視。でもだからこそ、カーボンファイバーなどこだわりの素材によって軽量・高剛性であり、走らせれば驚くほど走行抵抗が少ないことが実感できる。“挑(IDOMI)”ではハンドルのダンパー機構が外側に付いているが、”翔(KAKERU)”ではフレーム内に収めるビルトイン・ダンパーステアリングとなるこだわりよう。まさに車いすのF1であり、究極のモデルを走らせるのは何とも気持ち良く、贅沢な気分にもなった。
「あしらせ」は靴に装着する振動デバイス(モーションセンサー付き)とスマートフォン用アプリで構成されるシステム。アプリで移動ルートを設定すると、足の甲やかかと、外側などの振動によって曲がり角などを知らせてくれる。直進時は足の前方が振動、右左折時には右あるいは左が振動。視覚障がい者向けなので、周囲の音を聞く耳に邪魔にならないよう振動でお知らせするのが重要であり、またいかに直感的にナビゲーションできるかがポイント。振動デバイスは足のなかでも神経が集中している箇所に配置されている。
体験させてもらったところ、振動はわかりやすく、止まるべきところや曲がり角が近づいてきたことは、直感的に理解できた。白杖との組み合わせでも使いやすそうだ。
スマートフォンのGNSS測位情報は、時には精度が落ちることも考えられるのが不安なところだが、振動デバイスにはモーションセンサー電子コンパスも付属していて、歩いて移動することで、ユーザー側からアプリに情報をフィードバック。それと合わせて正確性を高める独自のアルゴリズムによる誘導情報生成が行われているのが「あしらせ」の優れたところだ。
カーナビゲーションも、最近ではスマートフォンで十分と言われることもあるが、正確性では車載の専用品のほうが有利。それはクルマの車速センサーで移動距離を、ジャイロセンサーで進行方向を見極めて、自車位置を把握する正確性を高めているからだ。ホンダには1981年にジャイロ式カーナビを発売した長い歴史がある。「あしらせ」がホンダの社内ベンチャーから立ち上がったのも何かの縁だろう。
個人的な経験としては、高齢の親の足腰が弱ってきたときに、愛車のBMW3シリーズではヒップポイントが低すぎて乗り降りが大変になり、送迎用に別のクルマを探したことがある。購入したのは奇しくもN-BOXだったのだが、ヒップポイントが自然と腰掛けられる高さで、低床だから乗り降りがしやすく、なおかつ両側電動スライドドアを運転席から操作できるのが決め手となった。それはそれで、いい買い物だったが、あの時にリフトアップシートや回転シートを持つ福祉車両を検討していれば、もっと良かったかもしれない。ただ漠然と福祉車両は特別なモノと捉えていて、はなから除外していたのだ。
現在の福祉車両は普通に使えることも考えられており、外観もまったく変わらないので、購入を検討する価値は大いにあるだろう。高齢化社会を迎えて、福祉車両を自分ごとと捉える人も多くなりそうだ。