カーライフ
更新日:2023.05.12 / 掲載日:2023.05.10
80’s〜90’s オレたちの青春カーライフ
〜行く理由があった場所と出会うべくして出会ったクルマたち〜
日本のクルマ業界にとって、80〜90年代というのは特別な時代だった。バブル景気に便乗する形で販売も好調だったし、多くの新しい技術も生まれた。当時クルマに乗って青春時代を過ごした若者たちは、どんなクルマを選び、どこへ出かけていたのだろうか。あの頃の熱狂とはいったいなんだったのか、今改めて考えてみたい。
構成・文/フォッケウルフ 撮影/茂呂幸正
(掲載されている内容はグー本誌 2023年4月発売号掲載の内容です)
クルマと過ごした青春時代あの瞬間をまた味わいたい
「青春」の定義は、人によってさまざまだろう。それはやはり学生時代だったという人も多いだろうが、クルマ好きであれば、免許を取ってからが本当の青春だったに違いない。
青春とは、長い人生のなかでも春に相当する時期だ。まだ人として青く未熟でありながら、幼い頃には想像し得なかった発見をし、さまざまなファーストインパクトを経験するときである。
その青春の中心がクルマだったというのが、現在40〜50代の世代だ。彼らが若い頃、つまり80〜90年代、クルマにはたしかに激情があった。新しいライフスタイルもあった。そして若者に勇気を与えてくれる存在だった。だから、クルマには乗る価値があった。まだ何もできなかった自分が、愛車に乗るだけで未来の海へと航海できたのだ。
そして今、年を重ねてさまざまな経験を積んだ同世代が、あの頃の行動欲求と懐かしい匂いを求めて、当時のクルマを手にすることを考えている。20年以上の月日を経て、世間的にも責任を持つ立場になり、大切なものもできて、コロナ禍も乗り越えた今だからこそわかるクルマの魅力が味わえるのではないだろうか。
あのとき乗ったクルマで、あのとき出かけた場所へ。世界をどこまでも包んでいたあの青い朝を、あの最高潮のときを、また味わおうではないか。
クルマへの愛にあふれた時代
ゴージャスなカーライフを楽しめたあの頃
80年代や90年代、この頃のクルマの魅力の礎となっていたのがハイテク技術だ。1980年に初めて日本車の生産台数が世界一になったが、その後も「高品質」で「高性能」で「壊れない」という日本車神話を築いていった当時の日本車のハード面を育んだものとは?
最高出力やハイテク技術が豊かさのバロメーターに
80年代から90年代にかけては、クルマの黄金時代。クルマは年々速く、ゴージャスになっていった。それは、従来は不可能だった夢を次々とかなえていくアメリカン・ドリーム的な時代だった。
まず人々を魅了したのは、「未知なる馬力」だった。70年代の排ガス規制の導入により、クルマは一時パワーダウンを余儀なくされたが、技術によってそれを乗り越えると、よりパワフルなクルマが次々と現れた。
80年、スカイラインGTがターボによって145馬力を得たかと思えば、翌年ソアラは、2・8ℓの直6DOHCで170馬力を達成。当時は「ターボ」と「DOHC(ツインカム)」は、単なるメカニズムの名称ではなくブランドであり、ほぼ全国民が「ターボ」か「DOHC」車に乗ることを夢見ていた。
特に若者は目を血走らせており、「TURBO」や「DOHC」と書かれたプラスチック製のプレートが、カー用品店で売られていた。それを貼り付ければ、あなたのフツーのクルマも、たちまちターボやDOHC車に早変わり、というわけだ。
最終的には、ターボとDOHCの両方のメカを持つクルマ(例・スカイラインRSターボ)が登場し、究極の存在となる。バブル期は、女性は彼氏に「三高」(高学歴・高収入・高身長)を求めたが、ターボとDOHCは、それと同種の存在で、そういうクルマに乗っているだけで、ある程度モテたのである。
ターボやDOHCがもてはやされたのは、当時は速さがまだ未知なる夢だったからだ。速さは、日本人が味わったことのない、豊潤なる果実だった。
そして、クルマは速さによってヒエラルキーが決定された。そこには、「速そうなカタチ」も含まれた。速そうであることは、実用性よりも優先されたから、4ドア車も競って天井の低いクーペ的フォルムをまとった。その代表が、当時大ヒットしたカリーナEDである。速そうなクルマで、夜の六本木や、夏の湘南に出かけることが、豊かになるレースのゴールだった。
バブル絶頂期になると、スカイラインGT—Rを筆頭に、国産車の馬力はついに280馬力に達し、そこで最高出力の自主規制が導入されて頭打ちとなった。280馬力のクルマはスターそのもので、当時、スカイラインGT—Rで街を走っていると、若者は全員振り返り、なかには走って追いかける者もいた。文字通りの「追っかけ」だ。
当時、クルマの馬力やそれを支える最新テクノロジーは、豊かさのバロメーターだった。日本人の誰もが豊かになる競争を繰り広げていたから、少しでも「上」を目指して、より地位の高いクルマを求めたのである。馬力が頭打ちになってからは、パジェロなどのRVに乗ってオートキャンプに行ったり、最新のカーナビやオーディオを楽しむといった形にも変容していったが、未知なる豊かさを求めるというベクトルは変わらなかった。
当時の日本人は、みんなクルマを愛していた。そして、愛は欲望とイコールであった。
280馬力第一主義
いわゆる「280馬力自主規制」が始まったのはまさに80〜90年代で、1989年に登場したZ32型フェアレディZを皮切りに、R32型スカイラインGT-Rや三菱GTO、A80型スープラ、FD3S型 RX-7など、国産メーカーがこぞって280馬力でフラッグシップスポーツカーを発売することになる。その裏には当時の運輸省による「交通事故の増加を防ぐ」目的の行政指導があったといわれた。一方で、この自主規制があったからこそ、各社の個性や他の技術が磨かれることになったともいえる。
フェアレディZが280馬力の第1号車。同車も後に続いた280馬力車も、実際には280馬力を超える性能を持っていた。日本自動車工業会による申請で自主規制は撤廃されたが、その第1号となったのは2004年のレジェンドだった。
テクノロジーの超速進歩
同年代は動力性能の基礎となるエンジン発達の時代でもあった。たとえばターボの進化や、現在も残るホンダのVTEC、三菱GDIエンジンなども誕生。さらにR32型GT-RのアテーサE-TSやスーパーハイキャス、NSXのアルミボディなどチャレンジングな技術も登場している。
可変バルブタイミング・リフト機構が備わったホンダのVTECエンジンは、1989年のインテグラに初搭載。同年に登場したスカイラインGT-Rも新技術が満載されていた。
デジタル化の先駆け
今でこそクルマのデジタル化は当たり前のようになっているが、その発端はデジタルメーターにあり、それが普及したのは80年代だ。1987年にはクラウンにCD-ROMナビが初採用され、マツダのフラッグシップモデルであるユーノスコスモには、世界初のGPSカーナビが搭載された。
80’s〜90’s 懐かしのカーワード アナタも聞いたことあるはず!
RV
「レクリエーショナル・ビークル」の略で、90年代当時はミニバンやSUVなど家族がレジャーに使うクルマの総称として使われていた。
大排気量エンジン
エコの時代に反するということで現在は減ってしまったが、当時は4.0ℓや5.0ℓなど大排気量エンジンがステータスとして扱われていた。
CDチェンジャー
マガジン式にCDを複数枚収めて連続再生できるシステム。CD自体廃れてしまったが、当時は多くの人がトランクなどに装着していた。
エアロミラー
その名の通り、風の流れを反映したエアロパーツのような形状のドアミラーのこと。現在のように燃費に貢献するものではない。
ボンネットマスコット
エンブレムやそのクルマの象徴的な形状が立体で表現されていた。当時はセドリックやデボネア、シーマなど国産車にも採用されていた。
大型ウーファー
荷室いっぱいの巨大サイズが流行っていた重低音を響かせるウーファー。現在も販売されているが、見かける機会が減ってしまった。
Tシャツ&バンダナ
80年代に流行ったのが、愛車のシートにTシャツを被せてヘッドレストにバンダナを巻くこと。西海岸風のイメージを演出していた。
あの人の記憶に残る、あのとき、あの場所、あのクルマ
撮影/高原マサキ
実際にあの瞬間を過ごしてきた、野村宏伸さんに話を聞いた。TVドラマや映画への出演の合間にも、クルマとの対話を続けていたという野村さん。語り始めると時間が過ぎるのは、あっという間だった。
「目的があるわけじゃなく、ただ走ることが楽しかった」
グー やはり野村さんも10代の頃からクルマがお好きだったんですか?
野村 16歳からオートバイには乗ってましたけど、多くの友人たちが中型バイクに進むなか、僕はクルマに興味がありました。高校在学中から教習所へ通ってましたね。
グー では、初めての愛車は?
野村 最初はホンダのステップバンを先輩から借りて乗ってました。愛車というか、とりあえず「運転したい」って思いが強かったですね。
グー では実際に購入したクルマはなんだったんですか?
野村 父親が僕と共同で乗るということで中古のカリーナを買ったんです。けど、僕がどうしてもって言ってMTにしてもらいました(笑)。
グー では、芸能界にデビューしてからはどのようなクルマを?
野村 オーディションに受かってから買ったのが2代目プレリュードのMT車ですね。とにかくスタイリッシュでスポーティな走行感覚も兼ね備えていました。
グー 当時の人気車でしたよね。ボディカラーは?
野村 こだわっていたわけではないですがホワイトを選びました。でも当時はホワイト系が流行っていたと思います。白いソアラかプレリュードか、みたいな時代でしたね。
グー 当時のご友人や周囲の若者はどんな車種にお乗りでしたか?
野村 カローラレビンとかトレノとか……あとセリカ、シルビア、117クーペに乗ってた友人もいました。やっぱり国産スポーツカーがほとんどですね。
グー その当時、ドライブはどんな場所へ出かけていたんでしょうか?
野村 僕は都内に住んでいたこともあって、第三京浜から横浜のほうへよく出かけましたよ。
グー 当時から夜景が綺麗だったんでしょうね。
野村 夜な夜な友人たちと連なって行ったり、一人だけでも行ってましたね。その場所に何か目的があるわけじゃなく、ただ走ってたな……。あの頃って、ガソリンのこととかあまり気にしないで走ってましたね。
グー たしかに現代の人はやたら燃費を気にしますから(笑)。
野村 今の若者はきっと無駄に走らないんですよね。けど当時は、MTでシフトチェンジして走るのがただただ楽しかった。そうやってクルマを操る喜びを味わっていました。
グー その後はどんなクルマにお乗りだったんですか?
野村 20代中盤くらいで仕事も軌道に乗ってきて、念願のポルシェ911を買いました。世代的にスーパーカーブーマーだったので子どもの頃から憧れてたんです。で、2台目のポルシェとして911カブリオレに乗っていたときに、これと同じユーノスロードスターを衝動買いしたんです。
グー 衝動買いですか!(笑)
野村 そう、オープンカーの2台持ちです(笑)。ポルシェがティプトロだったんで、ロードスターはMTにしました。
グー ロードスターに乗ったご感想はどうでしたか?
野村 まぁポルシェと比べたら決して速くはないじゃないですか。いい意味でちょっとしたオモチャみたいな感覚でしたね。けど、今の年齢になるともう速さを求めてないし、改めていいなって思います。歳を取って乗るほうが、むしろ楽しく乗れるのかもしれませんね。
オレたちが走り続けた3つの理由あの頃の忘れられないドライブをもう一度
若者たちの原動力となったクルマの持つ魅力とは?
コロナ禍による制限された生活のなか、人々は新しい生活様式を選べるようになった。その選択肢のひとつがクルマである。他者と交わることなく移動することができ、コロナ前と同様に自分だけの空間を満喫することができたからだ。
新車の納期が長かったことで、中古車も空前ともいえる人気の高まりを見せた。しかし、これは一過性のものとなるか、それとも改めて見直されたクルマの魅力が普遍的に評価されるようになるのだろうか。
この問いの答えにつながるヒントが、80〜90年代の若者たちの行動にある。当時の若者たちは、なぜあれほどまでにドライブすることに一生懸命だったのか。クルマに熱狂した理由はどんなところにあったのか。
まずは、前出の野村宏伸さんも述べているように、「運転が楽しかった」ことに尽きる。愛車に乗りさえすれば、いつでも運転を楽しめた。もうひとつは、クルマがエンターテイメントだったこと。現代のように娯楽溢れる時代ではなかったし、その情報も簡単に得られるような社会ではなかったが、クルマの運転はストレス発散にもつながっていた。さらに、クルマという空間の魅力が大きかった。SNSがなかった時代、人々は直接的な触れ合いを求めていたし、愛車の車内は自分らしさを表現できる場だった。そしてカスタマイズは自分の承認欲求を満たすものでもあった。
こうして考えると、距離を隔てることのない直接的な触れ合いがクルマにはあった。これが、今後のクルマ人気の存続にも一条の光を見せてくれるのではないだろうか。
理由1
運転することを楽しめるクルマがたくさんあった
80〜90年代当時は、新型車が発売されれば、まず最高出力、そしてサスペンションなど走りの機能に注目が集まったものだ。つまり若者はクルマの走りに期待していたのである。しかし現代のクルマは、燃費、収納、居住性能……もちろん、これらが悪いわけではないが、やはり操縦の楽しみを満喫できるのがクルマの一番の魅力というもの。現在よりMT車も多かったし、制御が難しいようなクルマも多かった。今の若者に言わせれば、「運転することが大変」なのかもしれない。しかし当時の若者は、そうやって汗をかいて運転することをエンジョイしていたのである。
理由2
日々のストレスを発散できる極上のエンターテイメントだった
現在では多くの若者がスマホを持っている。一方で、クルマは持っていない(人が多い)。たしかにスマホ1台あれば、それだけで膨大な情報を得られるし、読書も映像鑑賞も、買い物だって、視覚だけであらゆる体験ができてしまう。80〜90年代には当然そのような便利なものはなかったが、クルマはたしかに存在していた。実際に見て触って操れる、五感を楽しませる極上のエンターテイメントがそこに広がっていたのだ。若者がこれに熱狂しない理由があるはずはなく、多くの若者が、安くてもボロくてもいいから、とにかく自分だけの“マシン”を手に入れようとしたのである。
理由3
自分らしさを発揮できる自分だけの空間が存在していた
誤解を招く表現かもしれないが、80〜90年代は、クルマを持つことがその人自身の価値や魅力を高めることもあった。モテ・非モテにもつながったし、そのチョイスでセンスも問われた。つまり、クルマの内外装やカスタマイズはファッションであり、自身のアイデンティティにもつながっていた。これは現代でいえばSNSのようなものである。多くの人から評価されるようなヒエラルキーの高いクルマを入手することに情熱を燃やし、運転が上手くなりたいと日夜ドライビングの練習をした。そして自分だけの最高のドライブが実現できたとき、クルマは承認欲求を満たしてくれたのだ。
あの頃の名車に今も乗る人を直撃! 苦労と喜びを教えてください!
「新車」にしか見えない極上のレストアは愛の証
エダさんは高い人気を誇る初代インプレッサWRXのオーナーである。同GC8型のなかでも希少な2ドアクーペの限定車タイプRを、ホワイトボディのレベルまで分解し、内外装はもちろん、エンジンやミッション、駆動系などすべてのパーツを丁寧にリフレッシュし、「新車以上の美しさ!」と賞賛される徹底的なレストアを実施した。エンジンルームや車体の下まわりなど、普段は見えない部分も生産工場から出荷されたばかりの製品のように美しい。
この凄まじい執念は、GC8を愛してやまないエダさんの愛情が大きな原動力になっているという。
振り返れば、当時ハタチだったエダさんはスタイリングに魅了されて中古のWRXの2ドアクーペを購入。不幸にもほとんど乗ることなく廃車になってしまったが、同じチェイスイエローのクーペと再度出会うことができたのは運命的だった。相場が高騰した今では不可能に近い。
GC8はルックスのよさのみならず、走りの味わいにおいても唯一無二の存在で、エンジンフィールとハンドリングにエダさんは今もゾッコン。「一生乗る!」と宣言している。
ご主人は機械技術者ながら自動車の整備士ではないので、独学で車体構造を勉強しながらコツコツ分解整備を実施してきた。自宅のガレージで1年ほどかけて、GC8を新車以上の程度のよさに蘇らせたのだ。26年落ちということで一部の消耗部品は入手困難となっているが、GC8の愛好家ネットワークを駆使しながら克服しているという。
「あまりにも美しすぎて乗れない」というエダさん夫妻だったが、なんと普段乗り用のGC8を別途購入!新車以上の輝きを放つ個体を鑑賞しながら、別のGC8で充実したカーライフを送っている。
初代インプレッサWRXタイプR STIバージョン
今の若者たちにウケている「ヤングタイマー」ってなんだ?
ちょうどいい価格帯で選べる憧れのクルマたち
ここまで40代〜50代の人を中心に特集を展開してきたが、現代の若者たちは当時のクルマをどう思っているのか聞いてみた。するとどうやら、近年は若者たちにも“ちょっと古いクルマ”がウケているという。
80〜90年代くらいのクルマというのは、「クラシックカー」と呼ばれるほど古くもなく、相場もちょうどいい塩梅のモデルが多く、「ヤングタイマー」と呼ばれて若い好事家たちに選ばれているというのだ。
たしかにこの時代は現代ほどコストダウンが叫ばれておらず、開発にも相当金がかかっているし、さまざまな機能やメカニズムにチャレンジが見られて魅力的だ。なんといってもスタイリッシュなモデルが多い。
中年世代の心配としては、故障しても対応できる資金と気概を用意しておいてほしいということだけだ。
また乗りたい! あの頃人気だったクルマの現在地
ここに並んでいるのはどれも80〜90年代に一時代を築いた人気モデルたち。当時乗っていればヒーローだったものや後年になって「名車」と謳われたものもある。さて、今買おうと思ったら買えるのか?
1987-1991 ホンダ プレリュード(3代目モデル)
1988-1993 日産 シルビア(5代目モデル)
1989-1993 トヨタ セリカ(5代目モデル)
1991-1999 三菱 パジェロ(2代目モデル)
1991-2003 マツダ RX-7(3代目モデル)
1993-1998 スバル レガシィツーリングワゴン(2代目モデル)
※中古車価格はグーネット 2023年4月調べ。記事中の価格は参考であり、中古車価格を保証するものではありません。
まとめ
80〜90年代というのは、クルマが煌びやかだった時代だ。愛車で出かけることがとにかく楽しかったし、愛車に乗るために目的を作ったような部分もあった。今回はその魅力を、当時の時代背景とともに紹介してきた。青春時代というのは、多くの人にとって輝かしいものでもある。どこまでも走っていけるように思えたあのドライブを、また味わってみたい。そう思うのであれば、当時自分が乗っていた、あるいは憧れていたクルマの相場を調べてみることをおすすめしたい。