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更新日:2022.05.13 / 掲載日:2022.05.13

トヨタの仲間づくりを考える【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●トヨタ

 今や国内自動車産業の半分を制するトヨタアライアンスの姿をみなさんはどうご覧になっているだろうか?

 乗用車だけでも、ダイハツ、スバル、マツダ、スズキの4社、商用車も加えればこれに日野といすゞ。さらにエンジン開発などでヤマハを加える巨大アライアンスである。

 見方によっては、競合各社を軍門に下して、手下にでもしている様に見えるかもしれないが、長らくその動向を観察していた筆者から見ると、トヨタアライアンスはそういう大が小を飲み込む形では全くない。

 筆者が一番最初にそれを感じたのはダイハツを100%子会社化した2016年夏のことだ。当時豊田章男社長は「トヨタは小型車作りが下手だ」と自己評価を下していた。時期的には、中国での自動車販売がうなぎ登りに増加しているタイミングであり、ポスト中国と目される新興国マーケットの未来はまさに輝いて見えた。インドとASEANのポテンシャルが大きな注目を受けている最中であった。

 ダイハツ100%子会社化の発表の少し後、豊田社長に個別で質問する機会があったので、筆者はこれ幸いと当時最も興味があった質問をぶつけた。

 「トヨタとしてはダイハツに何を求めるのか?」

 質問に際して、筆者が想定していた絵柄の読みはこうだった。当時フォルクスワーゲンとの熾烈なトップ争いを戦っていたトヨタは、VWを突き放すためにも、戦力をCセグから上に集中したいに違い無い。となれば利益の薄いAセグ、Bセグをダイハツに押しつけて、ASEANを始めとする新興国マーケットでの台数競争を戦わせる。その上で利益率の高い上位セグメントをトヨタブランドが制する。

 そもそもダイハツはマレーシアのプロドゥア社に自社の小型車をベースとしたローカライズモデルを生産させており、00年代中盤には、「マレーシアの国策自動車メーカー第1号」として先行していたプロトン社を追い抜いて大躍進を遂げていた。戦略的には、このプロドゥアを足がかりに、小型車でASEAN制覇を狙うことは十分にあり得る話だ。

 しかし豊田社長の回答はおよそ肩すかしに近かった。「これから先何をするのか、どういうクルマが作りたいのか。それを決めるのはダイハツさんです。始めに彼らの意志があり、その上で協力を求められれば、トヨタとして協力できることは協力する。だからトヨタがダイハツに何かを求めることはありません」。

 想定外の答えに驚いた筆者は、この答えの受け止めに戸惑った。これは本心を隠した優等生発言なのか? それとも本気なのか? そもそも何も求めないなら、何で100%子会社化したのかもよくわからない。

 そこに合点が行ったのは、翌2017年にマツダと相互に500億円を出資し合ってアライアンスを拡大した時だ。仮にトヨタがマツダの支配を狙うならトヨタがマツダに出資するだけで良い。マツダに株式を持たせれば、多少なりともトヨタに対する発言権が生まれる。実際それまでトヨタは同業他社に資本を入れたことはあっても、受け入れたことはないのだ。トヨタへの発言権を渡さなければ拒否される資本提携ではなかった様に思う。

 となれば、豊田社長の発言は、どうも本気だったと見るほか無い。それに気付いた時、筆者は非常に興奮したことを覚えている。

 2019年には、スバルへの増資を決め、持ち分法適用会社にした。この時スバルの内部はかなりざわついたらしい。スバルは過去に日産の出資を仰ぎ、酷い目にあったことをまだ忘れていない。日産より更に体力のあるトヨタによって蹂躙され、下手をするとスバルブランドが無くなるのではないかと恐れた社員もいたと聞く。ただでさえ完成検査問題で士気が低下している最中である。悲観的になる社員がいるのは不思議ではない。

 就任から間もないスバルの中村知美社長が、この増資についての説明会を本拠地である群馬太田で行った際、サプライズとして駆けつけたのが豊田社長であった。

 そこで豊田社長が語った言葉は、筆者のダイハツに対する質問に答えた時とほぼ同じだったらしい。「トヨタは口を挟まない」「スバルはスバルらしいクルマを誇りを持って作って欲しい」。不安気に見守る多くのスバル社員の前でそう言い切った。スバル社内の悲観的空気はその一言で消し飛んだ。

 その成果は、トヨタとスバルが共同開発したbZ4X/ソルテラに明確に現れている。BEVの緻密なトルク制御を活かすためには、シャシー性能の高さが求められる。いくらシャシーを高剛性に仕立てても、左右のドライブシャフトが等長でなければ、その剛性差から左右輪でトルクの掛かるタイミングがズレて、モーターならではの緻密な制御が活かし切れない。スバルのエンジニアはそれを強く主張したが、それまで不等長ドライブシャフトの内燃機関FF車を多数開発してきたトヨタのエンジニアから見ると、それほど重要なポイントには見えない。設計上様々な点で大きな縛りとなる等長シャフトの採用をトヨタのエンジニアは渋った。今まで彼らが作ってきたクルマはそれできちんと走っていたのだ。

 トヨタ側から見れば「スバルはシンメトリカルAWDに拘りすぎている」としか思えない。この件、だいぶ激論になったらしい。結論としてはトヨタが折れた。長年AWDを開発し続けてきたスバルの意見を尊重したのだ。筆者は、後にトヨタの技術部門のトップであり、副社長の前田昌彦氏から「われわれも技術では負けないつもりでいたが、やはりAWDの技術に関してはスバルが長年蓄積してきたものは素晴らしかった。とても勉強になった」という言葉を聞いた。「AWDの技術に関しては」と認めるものは認め、かと言って全面敗北は決してしないその言葉に、前田副社長の誠実さとプライドを感じ取って、筆者は内心ニヤリとした。

 スバルは長年積み重ねた技術の誇りを保ち、トヨタはそれを学んで実利を得る。仮にトヨタが「傘下の会社は黙って言われた通りにやれ」というスタンスだったら、bZ4X/ソルテラはああ言うクルマに仕上がっていなかっただろう。

 思い返してみれば、豊田社長は「仲間作り」が大事であることをことあるごとに説いてきた。正直な話、かつてのトヨタであったら、こういう学び合うパートナーシップは築けなかっただろう。

 トヨタは確かに変わった。しかし、それがはっきりするまでには時間がかかった。にも関わらず、筆者がまだダイハツの話を消化しきれずにいたとき、すでにトヨタの変化を確信していた人がひとりいた。スズキの鈴木修元会長である。

 わずか4年前、スズキの完全支配を腹蔵するフォルクスワーゲンとの提携で欺されて手痛い目に遭い、国際仲裁裁判所で争ってまで提携解消を断行しながら、ダイハツの完全子会社化のわずか数ヶ月後の2016年秋に、スズキはトヨタとの提携を模索し始め、最終的には2019年に鈴木会長(当時)が、豊田社長を訪ねて、資本提携を願い出ている。二度と読み違いは許されない場面で、こんな動きが出来たのは、不世出の天才・鈴木修ならではの勘だと思う。

 長年のライバルであるダイハツと呉越同舟という難しい縁組みであり、かつダイハツはトヨタの100%子会社だ。後からのこのこと参加して、どういう扱いを受けるか心配するのが普通だろう。

 おそらくあの時ああ言う判断ができたのは鈴木会長ただひとりだったのではないか。トヨタのわずかな変化を見逃さなかったその慧眼は凄まじいが、鈴木会長にそう思わせるだけの舵取りをした豊田社長もまたスゴかったということになる。

 トヨタアライアンスにはスズキとダイハツ、日野といすゞの様な直接的競合社が並んで参加している。それをどうするのか? 筆者の推測に過ぎないが、アライアンスの中でも、自由に競争をし、勝ち負けがついても良いということだろう。競争とは、別の面で見れば「自動調整機構」だ。優れた者が勝ち、劣った者が破れる。そこにトヨタが手を突っ込んでとやかく言えば、優れた者がスポイルされる。それは社会全体の未来にとって幸せなことではない。

 アライアンスが機能するのは、競争の過程において、マーケットに意味の無い競争が起きそうな場面だけに限定する。サステナビリティを揺るがしそうな安売り合戦とか、あるいはカタログ上だけの数字を争い、ユーザーの実利にはむしろマイナスになるベンチマーク競争の様なことだ。だからそういう困りごとがあれば相談して下さいと言うのである。協力は惜しまないと。

 身も蓋もない話だが、そんな形の盟主でいられるのはやはり巨大な資金力があるからで、その一例として分かりやすいのは、ここ数年でトヨタが出資したベンチャー企業を見ると、まさに競合関係にあるような複数社への投資が散見される。

 例えばバッテリーだけ取っても、旧来からのパナソニックに加え、CATL、BYD、東芝、GSユアサと協力体制を作っている。合弁会社の設立、資本提携から単なる協業まで、濃淡こそあれど「こっちと付き合うからそっちは無し」というスタンスではない。普通の企業なら、競合の中から選びに選んで1社だけに投資し、そこと一蓮托生になるから、どうしてもそこを応援するしかない。

 当然ベンチャーに対しても、有望であるならトヨタは全部に出資して、自由に競争をさせる。そして市場に支持されて勝った、つまり最も優秀な1社を逃さない。

 選択と集中という弱者の逆転狙いの戦術をトヨタは取らないから、その行動原理が分かりにくい。普段から「両方買えばいいじゃん」という生活をしていないわれわれに取って、その戦い方はひどく分かりにくいのだ。

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池田直渡(いけだ なおと)

ライタープロフィール

池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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