車の最新技術
更新日:2023.05.26 / 掲載日:2023.05.26

インフレ抑制法と自動車ビジネス【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●シボレー

 読者のみなさんは「BEVの激戦地」と言われたらどこを想像するだろうか? 多分、多くの人は中国を、あるいは欧州を想像するだろう。ところが今、その流れが変わりつつある。今最もホットなのは米国なのだ。

 その最大の、というより唯一の理由がバイデン政権が打ち出したインフレ抑制法(Inflation Reduction Act, IRA)である。

 IRAは建前上、米国内のインフレを抑え込むための政策とされているが、この法律の本当の狙いは中国潰しにある。なんとも物騒な表現だが、すでにアメリカは中国への敵視を隠そうともしない。もちろん国全体の中では、違う立場の人もいるだろうが、少なくとも上・下院の意思はほぼ固まっている。

 その経緯は別の媒体で記事を書いているので参照していただきたいが、簡単に言えば、中国はWTO加盟以来、20年以上にわたって各国からの警告を無視してルール違反を継続し、主としてダンピングと非対称な輸出入規制などによって、世界中の競合企業を退場に追い込み、その結果BEVとその動力用バッテリーについて圧倒的に有利な地位を築いてきた。

 仮にいまさら態度を改めてルールを守られても、ここまで築いてきたアドバンテージを吐き出させない限り、中国による経済支配の流れはどうにもならない。米国としては堪忍袋の緒が切れて、「自由経済の番人」の地位をかなぐり捨てて、中国排除に乗り出した。その噴き出した形のひとつがIRAである。

 さて、IRAのカバー範囲は広いのだが、こと自動車に関する限り、米国と、米国が認めた国以外に補助金を出さない仕組みである。わかりやすさのため補助金と書いたが、正確には補助金ではなく税控除、つまりこのタイミングで対象となる新車のBEVを買わなければルール通り税金を徴収されるが、買えば最大7500ドルが控除されるという仕組みだ。

 ただし、何でも良いというわけではなく、税控除を受けるには一定の基準がある。このルールが各国からの突き上げもあって、何度も変わっているのが困りものだ。筆者も「その情報は最新か?」と言われるとちょっと自信がない。ただここでは概要がわかれば対中政策の骨子は掴めるので、それで良しとして欲しい。

 まずは自動車の組み立ては100%アメリカ国内であること。これに該当する新車のBEVには最大7500ドルの税控除が与えられる。米国外の組み立てでも、政府が指定した主要な鉱物資源について40%以上を米国または、米国とFTAを締結する国、または米政府がそれに準ずると認めた国から調達していれば、半額の3750ドルの控除が受けられる。ちなみに日本製のバッテリーはごく最近税控除の対象に組み入れられた。

 さて、この法律が中国製の「国ぐるみのダンピング」で後押しされたBEVが米国に雪崩を打って流れ込んでくることを止める意図で作られたことはすでに説明したが、この規制で、ついでにとばっちりを受けるのは、すでに米国で多くのクルマを売っている西側陣営各国だ。特に米国を主要マーケットにしているメーカーが多い日本は困る。

 日本のメーカーが、IRAによる不利益を回避しようと思えば、米国にバッテリー工場と完成車工場を作るしかない。しかしながらそうした工場の立ち上げは最短で5年、下手すれば10年掛かってもおかしくない巨額の事業であり、しかもその投資回収は一般に20年から30年掛かると言われている。

 IRAはその特性から言って、時限性が高い法律である。目的を果たしたら止める。なぜならそれは米国が長らく掲げてきた自由貿易の趣旨に反するからだ。ではIRAの効力期限がいつなのかを調べると、10年程度という文言がかろうじてでてくるのみで、はっきりしたことはわからない。それはそうだ、基本的には中国に対する抑止策なので、効果が十分でなければむしろ強めていかなくてはならない。いつまでという期限を明確に言える人は誰もいないのだ。しかも流れ弾を被弾しそうな各国からの苦情でルールもどんどん変わる。

 という中で日本の自動車メーカーはとても難しい判断を迫られている。色々詳細は不明ながら、建前としてのIRAはインフレを抑制しようと言うもの。それは雇用対策を含むので、例えば日本の自動車メーカーが米国に新工場を作るということになれば、ここにも補助金が出る。先行きはわからないので、出すと言っているうちにとっとと決めないともらえなくなるかもしれない。

 ただそこで作ったバッテリーやBEVが売れると見込めるのはIRAの7500ドルの税控除あればこそで、税控除が終われば需要は落ちる。そういう不安定な状況下で、果たして回収に長期を要する投資をするべきか慎重に行くかで各社は頭を悩ませている。

 元々、米国はあまりBEVに向かないお国柄だ。都市間の距離が平気で500キロ以上離れており、都市と都市を結ぶ道路の間ではインフラが充実しているとは言い難い。ロサンゼルスやニューヨークの都市内で使うなら良いが、全米で見た時果たしてどの程度BEVが普及するかを明確に予言できる人はいない。

 さて、こうして新たに勃発したBEV戦争。果たしてどうなっていくのだろうか?

この記事の画像を見る

この記事はいかがでしたか?

気に入らない気に入った

池田直渡(いけだ なおと)

ライタープロフィール

池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

この人の記事を読む

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

この人の記事を読む

img_backTop ページトップに戻る

ȥURL򥳥ԡޤ