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更新日:2023.08.25 / 掲載日:2023.08.25
フィリピンでの豊田章男会長談話を深読みする【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●トヨタ
8月22日、トヨタ自動車の豊田章男会長は、トヨタ・モーター・フィリピンの設立35周年式典に参加し、スピーチを行った。今回トヨタはフィリピンのサンタローサ工場で新型車「IMV 0」をはじめとする完成車の生産ラインを立ち上げ、44億フィリピン・ペソ(約113億円)の追加投資をしている。
フィリピンは言うまでもなくASEANの一角を担う国だ。そのASEANは今、世界の自動車産業の大激戦区となりつつある。
背景としては、中国の自動車産業によるBEVへの過剰投資がある。中国は国家戦略として自動車産業に多大な補助金を注ぎ込み、バブルが発生していた。数百社がBEV事業に参加し、過剰投資による設備余剰が発生して、今次々と自動車メーカーが倒産している。そういうファンダメンタルに加えて、国内景気の極端な悪化が追い討ちをかける。
内国需要が減少していく中で、これ以上過剰投資を不良債権化しないためには、輸出を増やすしかない。ところが先進諸国は中国の現状をよく理解しており、アメリカはインフレ抑制法で、欧州は国境炭素税で、中国からの輸出を堰き止める戦術を展開中である。日本はナチュラルに輸入車が売れない外車の墓場なので、元々ハードルが高い。
今回の欧米の対策が功を奏するかどうかは数年後を見てみないと本当のところはわからないが、中国側から見れば相手がデフェンスの準備を固めているところは攻めにくいのは当然だ。
中国としては無警戒のエリアへ輸出攻勢をかけるのが常道ということになる。いまそのターゲットにされているのがASEANなのだ。規模も大きい上に、地の利でも中国にとって有利。しかもASEAN各国には華僑経済という橋頭堡もある。
それは日本の自動車産業から見ると、大変都合が悪い。何しろASEAN各国は、本格的な工業化以前から日本の自動車産業が入り、産業用のインフラや法の整備にまでアドバイスをして手塩にかけて育ててきた虎の子のマーケット。そこをむざむざ取られるわけには行かない。

という構図がわかれば、トヨタが殊更にこのトヨタ・モーター・フィリピンの式典に力を入れる理由もわかるはずだ。
さて、構図としては中国対日本なのだが、中国側の戦術は選択肢が少ない。なぜならば、すでに書いた通り、中国は国内に余剰設備が山のようにあり、なんとかこれを稼働させて利益をあげたい。そのためには中国国内生産で、製品を輸出するしかない。
それはこれまで「一帯一路戦略」や、「債務の罠」などで積み上げてきた悪評の延長で、ある意味身勝手な自分の都合優先の話で、相手国の幸せな発展は最初から視野に入っていない。露悪的な言い方を承知で言えばASEANは単なる金蔓である。
ではトヨタはどうするのか? 以下に豊田会長のスピーチの一部を切り出して、解説する。
“私は2008年、ここフィリピンでIMVトランスミッションを増産し、アジアの他の地域に輸出することを決断したのです。
─中略─
最終組立よりもトランスミッションと部品の輸出に重点を置くというこの戦略的決定は、私たちにとって有利に働いたと思います。そのおかげで、いくつかの競合他社と異なり、私たちはここで成功を収めることができたのです。個人的には、ここフィリピンで地元のサプライヤーを育成するために、業界として団結する必要があると考えています。
というのも、現在50%の市場シェアを享受しているとはいえ、特に自動車の約75%が部品サプライヤーから供給されていることを考えると、残念ながらトヨタだけでは現地のサプライチェーンを発展させることはできないからです。他の日本のOEMがより大きな利益のために協力すれば、この地での自動車産業における機会を大きく増やすことができると私は信じています。
というのも、フィリピンで競合他社が増えれば増えるほど、現地サプライヤーが増え、スケールメリットが生まれるからです。そしてそれは、我々にとってだけでなく、フィリピンにとっても、そして最も重要なお客様にとっても良いことだと思います。
変に聞こえるかもしれませんが、私はたとえトヨタのシェアが下がっても気にしません。フィリピンにとって良いことだから”
背景が頭に入っていると豊田会長の意図がよくわかると思う。つまりここで豊田会長が伝えようとしているのは、共存共栄の理念である。「トヨタは自分の都合だけでビジネスをしようとしていませんよ」ということであり、文末の部分に注視すればむしろ「フィリピンにとって良いことであれば、トヨタのシェアが下がっても構わない」という話ですらある。
これを単なる善意の話であるとか優等生発言であると捉えるならそれはまた違う。
プロの歌手が音程を外さないとか、プロ野球のピッチャーがストライクゾーンに入れられるのは当たり前。トヨタは利益を出すのは当たり前で、そんなことを事業の目的にはしていない。行った先の国を幸せにし、必要とされることこそが事業の目的である。それがトヨタの言う「幸せの量産」だ。もちろん持続的に幸せの量産を続けるためには、自己犠牲で損をしていては続かない。
だから当然のように儲けるのだが、それは目的でもなんでもなくもっと大きな目的のための手段にすぎない。トヨタはフィリピンから「是非とも必要だ」と言われ、フィリピンの発展に尽くすことの方が本来の目的であり、それが無ければ、ただの金儲けに堕すると考えているわけである。

振り返れば、1980年代の日米自動車摩擦の時、日本の自動車メーカーに対して、「現地に工場を立ち上げ、そこに雇用を作り、利益を落とすことでこそ摩擦を回避できる」と教えたのはアメリカである。他国への進出を単なる経済植民地化ではなく、共存共栄につなげてこそ継続的なビジネスになることを日本はその時に学んだのだ。
さて、ASEANを巡る争奪戦。どちらの戦略が吉と出るか、興味深く見守りたいと思う。