車の最新技術
更新日:2024.09.27 / 掲載日:2024.09.27

世界の頭脳ギル・プラットが語る未来の交通安全【池田直渡の5分でわかるクルマ経済】

文●池田直渡 写真●トヨタ

 ギル・プラット博士をご存知だろうか? 現在、トヨタのチーフサイエンティスト&エグゼクティブフェローであり、トヨタが米カリフォルニア州シリコンバレーに設立した研究所「Toyota Research Institute, Inc.(TRI)」のCEOでもある。TRIでは「事故を起こさないクルマ」をテーマに自動運転などの研究のほか、AIや素材工学などの研究も進めている。

 このギル・プラット博士がトヨタに移籍した時、筆者は正直驚いた。そもそもマサチューセッツ工科大で教鞭を取り、その後米国国防総省傘下の国防高等研究計画局(DARPA)に移籍し、ロボティクスの世界的権威として名を馳せた。ちなみにDARPAはインターネットや全地球即位システムGPSなどを開発した実績を持つ世界最高峰の研究機関である。ギル・プラット博士本人の成果で言えば、AIによる自動運転を世界で最初に主導したことだろう。

 筆者は幸いなことにこのギル博士に度々直接取材する機会を持ったが、研究職や科学者の友人たちにその話をすると腰を抜かさんばかりに驚く。彼らに取ってギル博士は科学界のスーパースターであり、雲上人。「お前ごときが直接話したのか!」と驚愕するのである。

 初めて会った時、ギル博士に、何故にトヨタに移籍したのかを聞いた。いやトヨタには失礼ながら、いくら世界屈指の巨大企業とは言え、一民間企業に過ぎないトヨタと比べて、米国防の科学的な要となるDARPAの方がずっと格上に感じたからである。

ギル博士は、トヨタの持つ膨大な走行データに魅力を感じたと言う。また何回かお目にかかってその人格者ぶりにも敬服しているが、彼自身、社会の役に立つ仕事がしたかったというのだ。いや彼の頭脳を持ってすればどこにいたって社会の役に立つだろうが、そこに人の命を救いたいという気持ちが重なった時、世界で最も多くのクルマを生産販売するトヨタのリアル走行データを使った研究に強く惹かれたということらしい。

 さて、このギル博士が来日し、9月17日に新聞記者とジャーナリストに向けて、交通安全の取り組みのレクを行った。そこでギル博士は、これまでにない全く新しい自動運転の概念を説明してくれた。

人、クルマ、道路環境の3領域それぞれの改善が交通事故者数を大幅に減らすことにつながるとギル・プラット氏は説明する

 まず最初に、ギル博士は、交通事故を防ぐ3つの要素について話を始めた。「人・クルマ・道路環境(インフラ)」が三位一体になってこそ事故が防げる。人には安全意識と安全教育を、クルマにはより良い運転支援を、そして道路環境には歩車分離を始めとする事故防止のための改善を求めていかなくてはならない。

 そしてここからギル博士の真骨頂が始まる。始めに彼はロボットがジップロックのような袋に詰められたいくつかのフルーツをボウルに移す作業を見せた。ロボットは何度かトライして失敗しつつ、補正を重ね、やがて成功する。そこでギル博士は問うのだ「さてこのロボットには何行のプログラムコードが書かれていると思いますか?」。

 もちろん誰も答えられないのだが、答えは驚きのゼロ行だった。ゼロ行、つまりプログラムなしでどうやってロボットが動くのか。実は最初に人間が、ロボットのコントローラーを使って、行動を教えるのだ。しかしロボットはその途中の操作をいちいちなぞるのではない。ジプロックを持ち上げ、封を開け、そしてボウルの上に移動してフルーツをあける。

生成AI技術を用いて行動をロボットに学習させる実験。人間が手本を示したところ、行動を学習したロボットは自律的に「ふくろのなかから果物を取り出す」という目的を達成した

 筆者も全部を理解しているわけではないが、どうやら「何を、どこに、どうする」という機序、つまり仕組みを教えるのである。そしてその方法はロボットが考える。だからジプロックの置く場所を変えても、ボウルを移動させてもロボットは自分で考えて応用することができる。

 ギル博士はこれを「LBM」と呼んだ。調べてみると、これは日本語で「大規模行動モデル」と訳される生成AIであり、会話AIに採用されて革命を起こしたLLM(Large Language Models)の行動版に当たるらしい。専門的には「巨大なデータセットとディープランニング技術を用いて構築されるモデル」ということになるらしい。

 文字数に限りがあるので、乱暴に言ってしまえば、ぶつからないというゴールを目標に、ハンドル、アクセル、ブレーキの3つをLBMで学習しながら操作し、例えばドライバーが事故を起こしそうになった時、シークレットサービスのように運転操作を代わり、何ならドリフト領域まで使って、トップドライバー並みの技術で障害物を回避して人命を守るシステムである。

TRIでは、LBMの成果を示すひとつの例として、2台のテストカーが自動運転で追走ドリフトを行う映像を公開している

 LBMはまだ生まれたばかりで、これが実際の運転に応用されるまでには時間がかかるだろうが、まさに画期的な技術であり、ギル博士がまたもや新しい扉を開いた新世界である。自動運転はこれからの競争領域であり、多くの人は、無免許でも、あるいは飲酒をしても寝ていても目的地まで連れて行ってくれる安楽のための自動運転を夢に描いているが、本当に重要なのはドライバーの能力を超える状態を回避するガーティアンシステムであり、その領域でトヨタはどうも一歩先んじたのではないかと思う。

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池田直渡(いけだ なおと)

ライタープロフィール

池田直渡(いけだ なおと)

1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(『カー・マガジン』『オートメンテナンス』『オートカー・ジャパン』)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う。

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