輸入車
更新日:2025.01.08 / 掲載日:2025.01.08
マセラティとマイバッハ 新型モデルの世界観に迫る 歴史と伝統に裏打ちされた唯一無二の境地

[歴史と伝統に裏打ちされた]唯一無二の世界観
文●ユニット・コンパス 写真●ユニット・コンパス、マセラティ
(掲載されている内容はグーワールド本誌2025年2号「[2025年のトレンドがわかる]それでも輸入車がほしいワケ」記事の内容です)
時代は移り変わる。それは自動車業界においても同じだ。常識は変化し、定番モデルも時代によって姿形を変える。電気自動車はどうなっていくのか?新参入の第三勢力や超富裕層向け市場の行方は?そしてなにより知りたいのが、今買うべきモデルだ!
性能や装備を真似てもこの2台には敵わない
奇しくも同時期に日本で初公開となったマセラティとメルセデス・マイバッハのニューモデル。いずれも2シーターでありながら、クーペとオープンという以上に、まるで異なるキャラクター性を備えている。それこそが、ブランドが持つ世界観の違いによるものだ。
GT2ストラダーレは、その名が示すとおり、レーシングカーであるGT2の公道仕様である。
今、スポーツカービジネスは高性能モデルに人気があり、特に限定モデルとなれば世界中のコレクターが我先にと奪い合う状況だ。しかし、GT2ストラダーレは、そうしたマーケットを意識したモデルたちとは一線を画している。そこを理解するにはまず、マセラティの歴史を紐解く必要がある。
1914年に創業したマセラティは、市販車をレース用に改造する工房としてスタート。初めてのオリジナルモデルとなるティーポ26は、グランプリカー(現在のF1マシン)であった。レースでの活躍が評判を呼び、プライベーターたちから注文が集まったことでマセラティは自動車メーカーへと成長していく。
レースカーといっても、当時のそれは市販車との境界線があいまいで、たとえば最初期のレースでは、重量の規定がある程度だった。また、ステアリングを握っていたのは、プロではなく刺激を求めた富裕層たち。ジェントルマン・ドライバーと呼ばれた彼らは、当時のファッション・アイコンでもあった。マセラティがGT2ストラダーレで描き出すのは、まさしくそうした世界観である。
対するマイバッハも、ブランドが歩んできた歴史の道のりを想起させるクルマづくりを行っている。
そもそも、マイバッハが自社ブランドで市販車を販売していたのは1921年から1940年までの期間で、総生産台数も2000台に満たないとされている。時代を考えても大メーカーとは比較にならない規模である。その代わりマイバッハは、自動車ビジネスから距離をおいた後、エンジン開発のスペシャリストとして、ドイツ産業全体を支える役割を果たしている。特に、地球一周に挑戦した飛行船にエンジンが採用されたことは語り草だ。
ある意味で当時ライバルだったメルセデスこそが、マイバッハの卓越した技術力と世界観を理解していたのかもしれない。
ちなみに、マイバッハの象徴的なモデルとしてメルセデスが大切に動体保管している車両がある。それが、ソフトトップを備えるオープンモデルのDS8ツェッペリン。かの飛行船ツェッペリン号にちなむ名前が与えられた超高級車だ。
そうした歴史的な経緯をふまえたうえでSL 680モノグラムシリーズを見ると、メルセデスがこのモデルに込めた意図がより一層明確に伝わってくるだろう。
いずれのモデルにも共通するのが、1世紀にわたる歴史や世界観を、コンセプトに盛り込んでいること。装備や性能は真似をすることができるかもしれないが、重ねてきた歴史や、歩んできたブランドの道のりは唯一無二。そういう文脈を含めて所有する価値があるのが、輸入車の超高級ブランドなのだろう。
マセラティ GT2ストラダーレ

ジェントルマンドライバーをターゲットにしたレーシングマシン「GT2」。それを公道でも走れるように仕立てたのが「GT2ストラダーレ」。細部にもその意図が込められている。

メルセデス・マイバッハ SL 680 モノグラムシリーズ

車両だけではなく、服飾品やアート作品を通じて世界観を示しているメルセデス・マイバッハ。メルセデスの先進技術をベースに、ラグジュアリーで快適な空間を提供する。
