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故障・修理
更新日:2021.03.16 / 掲載日:2021.03.16

HONDA S600のエンジン全バラ&OH! その1

AS285E /HONDA S600 1964 Early Model 現代的組み立ての法則

ツインリンクもてぎ内に所蔵されるホンダスポーツ初の量産車S500のエンジンルーム。今回、オーバーホールを実践したS600エンジンは、昭和39年春に出荷されたAS285E前期型エンジンだ。

プロローグ:名機が生まれた背景を振り返る

 ホンダゴールデンエイジ=1960年代、バイクレースでは世界グランプリ覇者、四輪レースでは、最高峰カテゴリーであるフォーミュラ1へのチャレンジ……。そんなニッポンのホンダが、スポーツカーシーンでその名を世界中に知らしめたのが「ライトウエイト」スポーツS500/600/800シリーズの存在だった。ここでは、走る実験室としての色が濃かった昭和39年生産のAS285E前期型エンジン、S600初期生産モデルに搭載されていたエンジンのオーバーホール風景をレポートしよう。現代だからこそのレストアテクニックが、そこにはあった。

ホンダイズムを市販車へフィードバック

 スーパーカブ専用の生産工場として完成した三重県鈴鹿市の鈴鹿製作所。同工場の稼働開始から、2年後の昭和37年(1962年)には、モータースポーツシーンの普及を目的に、国内初の本格的サーキットを同鈴鹿市内に着工したホンダ。建設途中だった鈴鹿サーキットでは、ホンダ関係者やディーラースタッフを招待したミーティングが開催された(当時はホンダ会と呼ばれた)。その会場で発表されたのが、ホンダスポーツ360とトラック360の2モデルだった。バイクメーカーとして世界的に認められたホンダにとって、自動車の生産販売は当時の社長、本田宗一郎(敬称略)にとっても大きな夢の実現だった。そして、同年秋の東京モーターショーでは、ユーザーに向けて軽自動車枠のT360とS360、さらに小型自動車枠となるS500のいずれもプロトタイプを発表。数多くのホンダファンを歓喜させた。

 モーターショーの翌年「昭和38年(1963年)春からT360を発売します」と、ショー会場で発表したホンダだが、生産体制が遅れ、約半年後の昭和38年8月、遂にホンダは自動車メーカーとしての歴史を歩み始めた。そもそもスポーツカーへの搭載を見据え、開発されたのが、水冷ツインカムの360cc4気筒エンジンだった。そんなハイメカニズムなエンジンを、何故、商用車の象徴でもある軽トラックに搭載したのか? そこには、少なからず「特振法」の影響があったと言わざるを得ない。

 昭和38年3月、閣議で決定された特定産業振興臨時措置法案がそれである。この特振法とは、石油化学や特殊鉄鋼など、6つの特定産業を保護する法案であり、その中には自動車も含まれていた。当時の通産省による通達では、昭和40年3月以降は、特定産業への「新規参入を認めない」といった内容だった。ホンダは、この法案が施行される以前に、軽自動車枠と小型自動車枠で完成車の生産と販売を始め、自動車メーカーとしての既成事実作りを遂行しなくてはいけなかったのだ。

 その結果、先行開発されていたスポーツカー用の水冷4気筒360ccエンジンを商用トラックに搭載。小型自動車枠用としては、S360エンジンのレイアウトをそのままスープアップした、S500用のAS280E型が超特急で開発されたのだった。

 昭和38年10月、T360から2か月遅れで発売されたS500は、それこそ「走る実験室」の如く開発が進められた。市販型S500に搭載されたAS280E型エンジンのボア×ストロークは54×58mmで、総排気量は531ccだった。500ccを超えても、税制的に問題が無かったため、ストロークアップによってトルクとパワーを稼ぐエンジン仕様へと改良された。ホンダ発表のテクニカルデータによれば、プロトタイプの段階でボア×ストロークは52×57mm、総排気量は492cc。開発当時は、500cc未満の総排気量にこだわっていたのだ。

 しかし、それでもなおトルク不足との評価が多く、それは海外マーケットで特に顕著だったという。発売前には早くも600cc仕様化が進められ、S500の発売開始から3か月後の昭和39年1月には、606ccへと排気量アップしたS600を発表。技術的な改良は排気量アップにとどまらず、エンジン、フレーム、ボディはもちろん、擬装パーツなどに於いて行われている。そんな背景の中で誕生したS600が登場した後にも、日進月歩のスピードで改良は積み重ねられ、昭和45年(1970年)の同シリーズ生産終了まで、ホンダスポーツは、実に様々な改良が成されている。

 昭和41年(1966年)の二輪世界グランプリシーンでは、全5クラス制覇の偉業を達成。四輪フォーミュラ1の世界でも、昭和40年(1965年)のメキシコGPで初優勝を成し遂げるなど「ホンダ=レース」のイメージは圧倒的に強く、市販車の世界でもレースシーンと同様に様々な改良、予告無き仕様変更が繰り返し行われていた。そんなホンダイズムを愛したホンダファンが数多かったのも、大きな事実だろう。

 ここでは、昭和39年の初期に生産されたAS285E型エンジンのオーバーホールの様子をレポートしよう。補修部品の調達が容易ではない、現代だからこその組み立てテクニックにもご注目頂ければと思う。

S600はS500ベースのトルクアップ型

ボア×ストローク54×58=531ccのS500に対して54.5×65=606ccとなったS600。ストロークアップをメインに「トルクアップ」を果たしたエンジンが搭載された。S600初期モデルが登場した直後のカタログだ。

「幌」ではないクーペの存在感

オープン・ライトウエイトスポーツのS600の発売開始は昭和39年新春。同年の秋から登場したのがファストバックスタイルのS600クーペ。海外マーケットからの要望もあり開発されたモデルだった。

水漏れ注意!! 冷却水に覆われたシリンダースリーブがトラブル根源

アルミ製砂型鋳物を採用した初期シリーズのアッパークランクケースにはウエットライナー式シリンダースリーブが組み込まれるAS-Eエンジン。500と600の初期モデルまでは各気筒セパレートのスリーブだった。

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グーネットピット編集部

ライタープロフィール

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車検・点検、オイル交換、修理・塗装・板金、パーツ持ち込み取り付けなどのメンテナンス記事を制作している、
自動車整備に関するプロ集団です。愛車の整備の仕方にお困りの方々の手助けになれればと考えています。

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